張江先生の  言葉の耳袋 第7回

不精から生まれた宝: ペタペタ・アルバム

張江 幸男

【1】きっかけ
 台北に派遣されたとき、大量のアルバムを持参した。3年間という限られた外国での生活。きっと沢山の写真を撮るにちがいない。と意気込んでのことであった。
ところが、写真はどんどん撮ったのに、勤務は予想外に多忙であった。アルバム整理は日曜日でもやろうか、と思ったが、日僑協会(日本人会)の月刊誌の編集長を仰せつかったので、会合や取材活動でほとんど潰れてしまう。写真はダンボール箱に溜まってしまう。夏休みなどに整理し始めたが、何処の写真だったのか、写っている人はどんな人か。この写真の前後にどんなエピソードがあったのか。記憶は当てにならなかった。あとで整理することの難しさを痛感した。

【2】出来ることをやる → 大学ノートに貼る
 旅行や、行事で写真をとったら、直ぐに大学ノートに貼った。その余白にコメントを書き込んだ。とくに印象に残ったことを、俳句や短歌にしてその横に書き込んだ。どんどんノートはふえていった。列記すると、@入学式 A建築ラッシュ B故宮博物館 C北京語学校の学習風景 D翔んだ修学旅行E孔子祭への参加 D三校水泳大会(台北・台中・高雄) E遠東航空墜落事故(生徒や親にも犠牲者が) F台北一の画廊で全校絵画展 G全日本人が集まる音楽会

【3】中学生にすすめる → 子供から親に伝わる
 社会科の授業で、このようなアルバム創りを生徒にすすめると、「先生、これはなんですか」という問い。とっさにペタペタ・アルバムと答えていた。保護者会でも話題になったので、数冊を展示して慫慂した。アルバムの未整理は、誰もが解決策を求めていたらしく、早速、やり始めましたと言う声が寄せられるようになった。

【3】多機能のペタペタアルバム → 総合学習の役割
 生徒個人にもアルバム整理の方法として勧めたが、修学旅行には全員に課題として提出させた。私が期待した以上の成果があらわれた。
 フィリピンに行った中学3年生の佳子さん(仮名)のノートを紹介しましょう。
1、事前調査・・歴史・地理・現在の政治経済・文化
 文献や新聞その他より、きめ細かな資料を収集し、事前学習を前段に紹介している。
2、写真に付随したコメントと俳句・短歌
@ 中華航空81便の窓より・・・  雲の間に初のフィリピン眼にうつる 思わずおどる我れの心よ
A 空港出たところで・・・   黒き肌鋭き眼の警官の カン高き笛熱気切り裂く 
B 文化村で・・・スコールでゆるりと眺める文化村
C 街角で・・・ジプニーの派手なおしゃれに目を見張る
D ホテルで・・・  マニラにて英語を使う先生が なぜだかとても光って見える
E モンテンルパで・・・  戦争のむなしさわかるしみじみとわが師の歌も悲しく聞こえる
F バグサンハンで・・・  バグサンハン幼き子らの物売りに眉をひそめてただ首を振る
G 外国人と一緒に・・・  にこやかに声を掛け合う外国人 我れ口惜しさと羨ましさと
H 米軍墓地にて・・・  戦争の酷さを語る白き墓 永遠の平和を我れ祈りたり
I ホテルの室内で・・・  マニラの夜旅の終わりを惜しみつつ 俳句短歌を作りて苦しむ
 それぞれのコメントは、撮影の前後のことや、失敗談などで、その表現の多様さに驚かされる。
3、最後の纏めには、このペタペタ・アルバムを家族で見ながら会話が増え、今までより何倍もの意見を家族から引き出すことに成功したと語っている。
 なお、最後のページには大封筒をつけ、旅で得た資料、チケット、パンフレットなどが総て収められていた。

【4】さらに勧めたNY校 → 生徒の家族も先生の家族も
 なかなかアルバム整理が難しいという経験は、誰もが持っていた。それだけに、ペタペタ・アルバムの効能は、実物を見ることで一目瞭然、理解をはやめ、実行に移した賛同者がふえていった。同僚の家庭では、旅行するたびに、アルバム編集長がきまり、子供たちも競って楽しいアルバム作りに参加した。写真の貼り方も、ただ単に貼っていた私のアルバムに比べ、四角、楕円形、ハート型などの様々な切り方を工夫するようになった。数家族が集まるときは、このアルバムを持ち寄るようになった。具体的なコメントや、背景のエピソード、こどもの俳句などで話題が、今までより広がり、更に楽しいひと時を持てるようなったと述懐している。
 私のニューヨーク時代に作ったアルバムの、コメントは省略するが、写真に寄せた俳句をいくつか紹介します。
 @ 入学を祝い木蓮新世界・・・4.10入学式。大きな木蓮の白い花が咲いている。ここはアメリカ。日本人学校での入学式。子どもたちにとって、新しい大陸での新しい生活が始まる。
 A カメラマンの囲みしJAPAN席にありて臆せずスピーチする子よ頼もし・・・国連会議場で「世界子どもの日」、各国の未来の代表が参加。安田君の堂々の演説。
 B 遠足の子らに歩を停む騎馬警官・・・全校遠足。日本から全米から世界から集まってきた子どもたち。その列をアメリカの騎馬警官が優しく見守ってくれている。
 C 異国(とつくに)に同胞(はらから)眠る奥津城(おくつき)に平成の子らと花を捧げり・・・5.29 Memorial Day この日、日系人会、総領事館、寺院、教会関係者による日系人会墓参会に参加して。
 D 還暦を間近の我と妻なれどアメリカなれば運転習いぬ・・・この歳で、二人で車の運転免許をとった。
 E 一瞬の隙を突きくる剣のごと我の車は妻を倒しぬ・・・車庫入れを誘導していた妻を、壁と車の間に挟んでしまった。入院1週間。自宅で寝たきり1ケ月。通院3ヶ月。
  治療代約200万円。(すべて保険で支払い)
 F 紅葉のはや色づきぬキャッツキル・・・ 9月6〜8日。キャッツキル山のふもとで6年生の修学旅行
 G 冬紅葉異国の友に茶をたつる・・・11,5 学校、PTAの共催で日米文化交流会。約1000名のアメリカ人客。
 H タクト振る蝶ネクタイに冬日さす・・・1.10 予餞会。すべてが生徒の手で。芸術性の高い演し物に驚嘆。
 I 平成に馴れ初めし子等翔び立ちぬ・・・1.16 文字通り、受験のために日本に旅立っていく。

【5】出張でつくるアルバム→ あとで仕事の最高の資料
 学校を退職してから、三菱商事に7年、全日空に7年海外子女教育相談室長として勤務した。仕事柄、毎年、海外に出張したが、そのたびに一冊のペタペタ・アルバムができた。単なる記念や、記録にとどまっていない。報告書には書いていない多様な記憶が蘇ってくる。次のような都市に出張した。
 @シンガポール Aジャカルタ Bバンコク C北京  D上海E広州 F香港 G瀋陽 H青島 I台北
 J台中 K高雄 Kニューヨーク Lワシントン  Mロスアンゼルス Nサンフランシスコ 
Pベーカーズフィールド Qブリュッセル Rロンドン Sパリ 21、ジュッセルドルフ 22、アテネ
 行先は会社の支店・日本人学校・補習授業校・日系の私立学校・現地校〔小中高〕・国際学校・博物館・美術館・社員宅。そこの校舎・施設・先生・児童生徒、それぞれそのときの印象やエピソードが書き込まれている。
 ジュッセルドルフに出張したとき、日程に余裕が出来て、ケルンの大聖堂に案内してもらった。広−い教会の中にいろいろな団体が来ていた。泣きながら歌っているグループが写っている。この人たちはソ連人で隠れて信仰を続けていた。生涯で一度でいいからケルン大聖堂へお参りしたいと念じていた。いまロシアとなり、自由にここにこられたことに感謝して聖歌を歌っているのです、と語ってくれた。
 かわいい11年生のお嬢さんが写っている。この横に、授業の時間割が書いてある。特、英語(6:46)1、アメリカ史(7:42)2、代数(8:46)3、化学(9:52)4、保健体育(10:55)5、昼食〈11:52〉6、英語〈12:36〉7、フランス語〈1:39〉特、政治経済〈18:43〉。このお嬢さんは、3年間で高校を終える予定だったが、お父さんが病気で帰国したため、2年間で高校の全課程を修了し、上智大学に入学された。このメモを見るたびに理知的なお嬢さんのその後の幸せを祈らずにはいられない。

 

 「INFOE」 2008年9・10月号(第22号)掲載


掲載リストに戻る