張江先生の
「言葉の耳袋」 第6回
読書ノート : 読んで・書いて・語って
張江 幸男
【1】読書ノート・・読んで・書いて・語って
(1)作文がかけない
カラカスに6年いた米田さんは、アメリカンスクールに7年間通っていた。高校時代はトップの成績をあげている。両親が大変な読書家であったので、米田さんも日本語の本もずいぶん読んでいる。高校を卒業して帰国し、J予備校に通った。日本語の論文を書くコースで、最初の論文の評価が最低であったので、相談室を訪ねてきた。拝見すると小学校3年生くらいの作文レベルであった。今までの国語の勉強もそこそこにしており、漢字対策もしてきている。しかし、日本文を書く経験は少ない。ある漢字がどのような前後関係の中で使われているのかが良くわかっていない。
そこで勧めたのが読書ノートの作成でした。最終目標の大学は国立であったので、まだ半年は準備ができる。論文講座に通う傍ら、私の助言を完全に実行し、ご両親も協力してくれました。
(2)読書ノートとは
本を読むことは好きでも、作文が嫌いという子どもは意外と多いものです。台北日本人学校時代に飛びぬけて作文がうまいクラスがあった。その担任が西川先生であった。かれは長い間、読書ノートの指導に情熱を燃やしていた。爾来、わたしもその真似をして読書指導をしてきたが、たしかに効果はあった。その内容とは・・・
1、 専用のノートをつくる。
2、 本を読み終わったら、その本から、次のことを書き写す。
@ 書き出しの文節
A 最後の文節
B 読後に一番印象に残った文節
3、 書き終わったら、必ず親に読んで、聞いてもらう。
【2】書き出しの文章・・
どの作者も書き出しには頭を悩ませる。本を開いた読者の心をぐっと掴みたい。小学生から大作家まで、文を書く人の共通の悩みの種である。書き出しが出来たら、ほとんど完成したようなものだという作家もいるくらいです。いくつかの作品から引用しましょう。
(1)風の又三郎(宮沢賢治)
九月一日。
どっどど どどうど どどうど どどう
赤いくるみも吹き飛ばせ
すっぱいかりんも吹き飛ばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
谷川の岸に小さな学校がありました。
教室はたった一つでしたが、生徒は一年から六年までみんなありました。運動場もテニスコートくらいでしたが、すぐうしろは栗の木のあるきれいな草の山でしたし、運動場のすみにはごぼごぼ冷たい水を噴く岩穴もあったのです。
※ 初めの詩を声に出して読んでみてください。それだけで何かが起こる予感でわくわくしてきます。小さな学校なんだ。でも後ろには草山。きゃあきゃあ言いながら遊んでいる子供達の姿が浮かんできます。そこへ又三郎がやってくるんだ。どんな子どもなのかなあ。さあ、早く読み進めようと思いませんか。
(2)坊ちゃん(夏目漱石)
親ゆずり無鉄砲で子どものときから損ばかりしている。小学校にいる時分学校の二階から飛び降りて腰をぬかしたことがある。なぜそんなむやみをしたかと聞く人があるかもしれぬ。べつだん深い理由もない。新築の二階から首をだしていたら、同級生の一人が冗談に、いくらいばっても、そこから飛びおりることは出来まい。弱虫やーい。とはやしたてられたからである。小使におぶさって帰ってきたとき、おやじが大きな目をして、二階ぐらいから飛びおりて腰をぬかすやつがあるかといったから、このつぎはぬかさずに飛んで見せますと答えた。
※ 主人公坊ちゃんの人柄が、この書き出しでアニメから飛び出してきたかのようにわかる。無鉄砲、べつだん、時分など、いまでは使われない言葉でも、前後の関係で十分理解できる。内容もさることながら、ことばの使い方がうまい。ページを繰る手が早くなります。
【3】最後の文節・・
本を一冊読み終わったとき、ここの文で、読後感に象徴的な感情を印象づける。さらに、登場人物の未来像まで予想させてしまう。貴重な文章だ。
(1)龍の子太郎(松谷みよ子)
こうしてできた、ひろびろとした土地に、人々はあつまり、やがて、見わたすかぎりのたんぼに、こがね色のいねがみのりました。そこで龍の子太郎とあやは、にぎやかなご婚礼の式をあげました。そこでばあさまや、あやのじいさまや、村の人たちをよびあつめ、みんなたのしく、しあわせにくらしたということです。
※ よかったねー。主人公も、むらびとも、きっと力を合わせてもっとすばらしい村にしていくのだろうと想像できます。穏やかで、幸せな気持ちで本を閉じるでしょうね。
(2)二十四の瞳(壺井栄)
はるこうろうの はなのえん
めぐるさかずき かげさして
自分の美声に聞きほれているかのようにマスノは目をつぶってうたった。それは六年生のときの学芸会に、最後の番組としてかのじょが独唱、それによってかのじょの人気を上げた唱歌だった。早苗はいきなり、ますの背にしがみつき、むせび泣いた。
※ 先生と生徒の心のつながりが、凝縮されてこの結びとなっています。美しい余韻が残る表現ですね。
【4】一番印象に残った文・・・
読書ノートを書いている子どもの話では、ここを書くとき一番頭をひねる、と言っています。読み直す子どももいます。また、親子で話してみると、それぞれに違いがあるのが面白い。親も自分の年代で変わってくる例も多いと述懐されていました。
(1)小僧の神様(志賀直哉)
某はへんにさびしい気がした。自分は先の日小僧の気のどくなようすを見て、心から同情した。そしてできることなら、こうもしてやりたいと考えていたことを、きょうは偶然の機会から遂行できたのである。小僧も満足し、自分も満足していいはずだ。人を喜ばすことは悪いことではない。自分は当然、ある喜びを感じていいわけだ。ところが、どうだろうこのへんにさびしい、いやな気持ちは、何故だろう。ちょうどそれは人知れず悪いことをしたあとの気持ちににかよってくる。
※ そうです。だれでもこれと似たような体験をしていますよね。毎日の生活の中には、理屈では割り切れない心のひだの小さな動きがたくさんありますが、作者のようにすくいとってみたいものです。
【5】じっくり聞く・・心の交流を
読書ノートを書き続けられるかどうか。それは親の対応にかかっています。こどもが書き終わったら、親御さんはお子さんの読むのをしっかり聞いてやってください。できれば、ご両親がそろっているときが一番いいのですが。
@ しっかりと聞く・・心から聞いているよという態度を示す
A 感謝する・・忘れていたことを思い出さしてくれた。新しい本の知識を得た。自分とは違う読後感に気付かせてくれた。
B 誉めて励ます・・感謝して、また聞きたいと希望する。
【6】ペンを執ることが好き・・ 書く喜びを持つ人生
いきなり文を書けとなれば大きな抵抗があるのは当然です。ところが、読書ノートはただ書き写すだけですから抵抗はありません。ペンを走らせているうちに、作者の心血を注いだ文にとらわれてしまいます。ああ、この語彙を使ってみたい。このような文を作ってみたい。書きながら、自分の心の誘いに乗り始めるのです。日記でも、学校の作文でも、書くのが喜びになってきます。まさに「筆執ればもの書かる」です。
米田さんはゼミへの通学に往復2時間かかりました。この時間が読書の時間になりました。2日に1冊の割合で読破したことを、読書ノートで知りました。予備校の先生は既知の方でしたので、米田さんの論文練習のファイルを見せてもらいました。初めの小学生の文から、最後は新聞の論説委員ばりの文になっていました。3月のある日、米田さんはT大文一の合格証書をもって、にこやかに相談室を訪れました。
「INFOE」 2008年7・8月号(第21号)掲載