アメリカ留学自己変革記 (2)
早稲田大学政治経済学部4年
宇野 真弘
2008年9月から2009年6月まで、大学の交換留学プログラムを利用して、ウィスコンシン州のローレンス大学に留学しています。この留学の目的は「自己変革」を起こすことです。その体験を記していきます。 |
1.留学に向けて−被爆地を訪れる−
私は今、広島にいます。被爆国である日本に生まれた者として、核のもたらす悲劇がどんなものであるかを世界に伝えられなければならない。留学を前にして、そう強く感じるからです。
原爆被害を無言で伝え続ける原爆ドーム、そして原爆投下の背景や被害状況を克明に語る平和記念資料館は、核の廃絶を訴える強い力を持っていました。特に、被害状況の数値的検証には、核の脅威を示すに十分な説得力があります。しかしながら、私にとって最も重要に感じられたのは、原爆死没者追悼平和記念館におさめられた被爆体験記です。なぜなら体験記は、データだけでは浮かび上がってこない被爆時の風景を映し出すことができるからです。
たとえば、爆心地から1.2キロ以内にいた人の50%が即死、3.5キロ以内の人は熱風による火傷をおったといわれています。その意味するところは、まさに信じられないような悲劇です。ところがこの数値だけを見ても、分かったようでいて現実のこととしては理解できない。それに比べて被爆者一人ひとりの体験記は、現実の世界にどのようなことが起きたかを知らしめてくれます。
当時14歳で高等女学校2年生だったある女性は、爆心地から1.8キロ以内で被爆しました。建物の陰にいたため火傷は免れましたが、飛んできた瓦で右足を打撲してしまいます。山へ避難する際には黒い雨に遭いました。焼け野原と化した街を我が家へと向かう間、馬かと思うほど大きく膨れて仰向けに転がっている死体や、全身ずるむけで髪もちりちりに焼けているため男女の区別も年齢も分からぬ人たちを踏まないように歩きます。走っている格好のまま焼け死んだ少年の死体もあります。また道中、「水を飲むと死ぬぞ」と叫ぶ声が聞こえてきたけれど、どうせ助かるか分からないのだから楽にしてやろうと、「水ください」という声にこたえ、焼けて開きにくくなった口に水を流し込んでいきます。彼女にとっては、今でも眼裏には焦げた人々が、臭覚には焦土のにおいがよみがえり、「忘れてしまいたい」と「忘れてはならぬ」が交錯するのです。
原爆投下の惨状や非人道性を理解するには、データだけでなく、こういった体験記からのミクロな理解が必要です。そこには、マクロの視点からでは知ることのできないミクロの悲劇が存在するからです。昨今、キッシンジャー元国務長官を含む米国政界の重鎮らが「核のない世界」の実現を呼びかけ始めたこと、米国の民主・共和両大統領候補ともに核廃絶に前向きであること、英国の元外相らも核廃絶を訴え始めたことが、核廃絶へ向けた大きな潮流のきっかけになるのではと期待されています。このような潮目での留学においては、核問題についての活発な議論ができるでしょう。そのなかで、そういったミクロの視点からの理解を促していかなければならないと感じます。
2.経験から学ぶ−自己変革は可能である−
今の自分を大きく変えて成長させたい。この留学の目的は、自己変革を起こすことです。変革の具体的な内容は次節に譲るとして、ここでは自己変革が重要だと考えるようになった経緯を述べたいと思います。
これまで私は、「自分はこういう人間だから変われない」と決め込んでいました。恥ずかしながら具体的にいえば、知的でない、事なかれ主義なところがある、自己中心的である、酒癖が悪い・ネど。そう決め込んでいた背景には、そう簡単に人間は変わるものじゃないという認識があったからです。しかしこれは変わるのを拒むための単なる言い訳でした。変えるべきは変えていく。それは可能だったのです。それが分かったきっかけは、一ヶ月間にわたる東南アジアへの一人旅です。
事なかれ主義でいたために、あらゆる場面でお金を巻き上げられ、手元のお金があっという間になくなりました。限られた観光収入で生活している貧しい人も多いことから、すべてを一様にぼったくりだとはいえないし、ある程度はお金をおとしていかないといけないとも思いました。しかし、観光客としての常識的な相場まで下げないとやっていけないと考え直し、それ以降は、費用が高いときあるいは安すぎるときは、事なかれ主義で済まさず、なぜかその理由を聞くことにしました。それからはだまされることは少なくなり、それに加えて新しい発見に至ることが多々ありました。
たとえば、カンボジアでバイクタクシーの運転手ともめたときのことです。チャーター三日分にかかる料金が4500バーツ(日本円にして約14500円)と高額だったためです。私は、「貧しい国の貧しい会社なのだから、これだけとらねばやっていけない」と言われて、要求された額を一度払ってしまいました。けれども、やはりあまりに高額だったことから一部返金を求めます。しばらく言い合いをしましたが、ボスと話してくれと言われて事務所に向かいました。そこでボスの話を聞き、一個人の力ではどうにもできない途上国事情があったことを知りました。というのは、その会社は50人もの若者を運転手として雇っていたのです。そして賃金は歩合制ではなく、平等に分配していました。はじめそのことを聞いて、なんて非効率的なんだとつっかかりました。人員を削減して競争させるべきだと考えたからです。しかしすぐにはそれを後悔しました。全員が客を見つけることはできないが、だからといって首にしたら物乞いになり下がってしまう。それゆえ雇わざるを得ない。そういう現実があったのです。途上国には市場原理が回らぬ脆弱な基盤が存在するという事実を目の当たりにしました。
このような経験は、事なかれ主義から脱しようと自分を変えていったことで得られたものです。自分を変革することで、それまでなかったチャンスにめぐりあう道が開けるのです。自己変革の重要性と、それが実現可能であることを強く感じました。留学では、いっそうの自己変革を進めていくつもりです。
3.留学の目的−どう変革するか−
では、留学でどのような変革を目指すのか。それは、視野の拡大、積極性の向上、論理的に話すスキルの養成という三点の実現です。
まず私のいう視野の拡大とは、ものごとを考える際の視点を複数持つということです。たとえば排出権取引は、環境という視点からは効果的といわれますが、視点を途上国の開発という問題に移せば、自国の排出権を売るわけだから、その分開発が阻害される可能性があるのです。そういった複眼的な考え方ができなければ、ものごとを見誤る恐れがあります。けれども、現在の私はそれが不十分に感じられます。そのため、留学で様々な価値観や考え方を持った学生たちとディスカッションしていくことにより、多様な視点を学んでいくつもりです。それは、異なる視点を持つ学生たちの考えをただ聞くだけではありません。それをクリテカィカルに考えること、そしてそれに対する自分の考えを論理的にのべていくという作業をディスカッションのなかで繰り返すことで、筋道を追ってその視点がうまれる過程を理解できるのだと思います。こうして初めて多様な視点が自分に身につくのです。
次に、積極性の向上を目指します。私は、去年の夏にUC San Diegoのエクステンションに一ヶ月間短期留学していました。そのとき、アジア出身者を除く周りの学生は、「何が何でも私が」という姿勢で発言していました。そのなかで私はあまり発言できず、置いてきぼりをくらったような思いをしました。この経験から、世界基準で戦える人間になるには、とにかく前に出る姿勢がないといけないと感じたのです。今度の留学では、自分の存在感を出せるよう貪欲に挑んでいきます。英語でハンデを追っていることは、私が留学生なのだから明らかです。だから、ある程度英語に慣れるまでそのようなことを気にせず発言していきたいです。
最後の論理的に話す力とは、筋道を追って話すスキルです。日本人は行間を読むということが一般に言われます。例にもれず私の話し方もそうです。けれどもそれは誤解を生むばかりでなく、人を説得するのに非常に不利に働きます。そこで、行間に頼らず筋道を追って自分の言葉で話しきるスキルを、社会に出る前に身につけるべきだと考えました。アメリカでは行間に頼っていては伝わらないと言われます。そのような環境で論理的に話す訓練をしていきたいと思います。それは、授業やプレゼンといった場だけに限らず、生活においても実践していくことで、自分のものにしていくつもりです。
上記の視野拡大、積極性の向上、論理的に話すスキルの養成に重点をおいた自己変革を、留学先で実現していきます。
「INFOE」 2008年9・10月号(第22号)掲載