佐々先生の 海外・帰国 あれこれコーナー
第23回 「文化祭・運動会」
日本の学校には、学校をあげて取り組む大きな学校行事があります。中高生の帰国生の面接で、「日本の学校生活で楽しみなことは」と言う質問には、「文化祭」という答えが一番多いようですし、外国の学校から留学や体験入学で来ている生徒たちも、日本の学校生活で一番の思い出に、よく「文化祭」や「運動会」をあげます。
◆文化祭
「祭」は、日常とは別の特別な日です。文化祭でも、学校生活の中に特別な時間が流れ、生徒たちはいつもと違った顔を見せてくれます。
文化祭には各クラスがそれぞれのテーマで展示をします。1学期のうちに計画を立て、夏休みの期間も使って、長い時間とエネルギーをかけて準備をします。クラスのメンバーが、一つの目的を持って困難を解決し、力を合わせる姿は頼もしいものです。その過程では、いろいろな問題に直面します。それを解決する努力をとおして、生徒たちはたくさんのことを学びます。
音楽や演劇のパフォーマンスもあります。日常活動をしている聖歌隊やブラスバンド、演劇部などは文化祭を一つの目標に熱のこもった練習をつづけます。ここ何年か、音楽を選択している高校3年生がミュージカルを上演するのが恒例になっています。ダンス、バンドなど、文化祭を目指して自発的に結成されるグループもあります。2学期にはいると、放課後の校内は、熱っぽく活動する生徒たちの姿で活気にあふれます。
華やかな展示やパフォーマンスの陰に、表面には見えないたくさんの働きや、悩みや、努力が必要なことを、生徒たちは身をもって体験します。展示一つにしても、計画から制作、ディスプレイ、片付けまでに、どれだけの人たちの力が必要かを考えてみれば、人と人とのつながりがなければ私たちはほとんど何もできないのだということが分かります。
啓明学園の今年の文化祭のテーマは「絆」でした。文化祭という行事を一つの教材としてとらえれば、文化や産業をとおして人と人とがつながっていることを、実感をもって考えさせることができます。
例えば、展示に使った木材であれば、それを売ってくれた店の人、店までそれを運んだ人、製材所で木材の形に仕上げた人、森で木を伐採した人、その森の維持のために働いた人、苗木を植えた人、・・・と、つながりはどこまでもつづきます。 音楽やダンスのことを考えるなら、練習の指導をしてくれた人、楽譜を印刷した人、楽器を作ってくれた人、音楽を作曲した人、さらにその作曲家を育てた人、・・・のようにさかのぼっていくことができます。
模擬店の食べ物を出発点にして考えていくと、流通に関わる人たちや、農業に携わる人、牛を飼っている人などにつながります。絆は、国境を越えて、世界中のたくさんの国々に広がっていきます。
今年、中学校のあるクラスは、神奈川県に古くから伝わる相模の大凧に興味を持ち、大凧保存会の人に指導してもらって和凧を作りました。大きな凧が上がったときのうれしさはたいへんなものでした。生徒たちが昔の人の知恵や技術に触れることができたことも幸いでしたが、大切に伝えて来た凧作りを中学生たちに伝えることができたということで、保存会の方々にもたいへん喜んでいただきました。
「文化」というものは人から人へ伝えられなければならないものですから、「文化祭」は、必然的に人と人との「絆」を前提に成り立つものだと言えます。
◆運動会
運動会に取り組む期間は、文化祭に比べると短い間です。しかし、その中に、生徒たちはエネルギーを集中します。
体育科の発表では、男子は柔道の形、女子はダンスを発表しますが、準備の過程には、上級生から下級生に技や動きを伝えていくときもあれば、受け継いだものをベースにしながら新しいものを生み出していく場面もあります。日々精進を重ねて黒帯を獲得したり、真剣な話し合いや練習を経て新しい動きを生み出したりした生徒たちが輝くときでもあります。
応援団は、運動会の花形です。たくさんの生徒が希望して応援団に入ります。最近は「三三七拍子」などの硬派の応援は影を潜め、コミカルな動きや楽しいダンスでみんなの気持ちを盛り上げる傾向が見られます。メンバーは、短期間に集中的に練習して、パフォーマンスをまとめます。
クラス対抗の「大縄跳び」のために、各クラスは、一週間ぐらい前から、始業前や休み時間などの時間を使って練習をします。縄を回す人を誰にするか、並び方の順番をどうするか、みんなのリズムをどうやって合わせるか、運動が得意でない人をどのように励ましていくかなど、たくさんの課題を解決して行かなければなりません。だれかがリーダーの役割をになって、みんなをまとめていかないとよい記録を出すことはできません。本番までの過程を見ると、中学生から高校生になる間に、生徒たちがどのように力をつけていくのかもよく分かります。
もちろん、リレーや騎馬戦などの競技もあります。フィールドと応援とが一体となって気持ちを高め、盛り上がることは気持ちのよい体験です。啓明学園の運動会の競技は、「パン食い競走」なども含めて、昔ながらの種目ばかりですが、外国で暮らした経験のある生徒が多い学校にはむしろふさわしいように思えます。
学校の活動の中心は、いうまでもなく各教科の授業ですが、教科の内容は、かなり厳しく決められていて、毎年自由に違った展開をするというわけにはいきません。しかし、文化祭や運動会では、その行事の目的にかなうものであれば、生徒たちが自由に活動を組み立てていくことができます。それで、時間がいくらあっても足りないくらい夢中になれるのではないかと思います。
日本の子どもたちが、文化祭や運動会に力を集中し、その時間の中で自分を高めることができるのは、たいへん幸せなことです。授業では、大切な知識が伝えられ、基礎的な力をつけていくための訓練がなされますが、そこで扱えることは人間として成長していくために必要なことのほんの一部にしかすぎません。文化祭や運動会だけでなく、日本の学校のいろいろな行事は、若い人たちに、授業だけでは育てることのできないさまざまな力を獲得させる大切な機会となっています。
啓明学園には、「ゴミ対策特別委員会」というボランティアグループがあります。文化祭や運動会の時には、普段の何倍ものゴミが出ます。行事の日には、ほとんどの生徒が下校した後、暗い中でていねいにゴミを分別する「ゴミ対」の生徒たちの姿があります。生徒たちは、目に見えないところで大きな行事をささえる充実感と喜びを学んでいるのです。
もし、他の国の学校ではできないことが日本の学校でできているのだとしたら、それは日本の文化の優れた点を反映しているということになるかもしれません。
「INFOE」 2008年11・12月号(第23号)掲載